大命題.
「レベル(階位)」という概念を持ち込むことによってのみ、ネガティブな想念・行為が生じうる。
嫉妬・怒り・蔑み・自己卑下・闘争・戦争・悲しみ・苦しみ、その他諸々のネガティブな想念・事象が、この世界が始まって以来存在し続けてきた。
それらの態様は種々様々であるが、その発生する由来は、共通している。
「欠落」という判定、に基づいている。
この「欠落」が生じうるためには、あらかじめその行動領域に「レベル(階位)」というものが設定されていなければならない。
存在の総量は一定だから、「上がる」存在がいれば、必ず「下がる」存在が出てくる。これは、全く不可避である。
まったく、これを避けることはできない。
そこで、
ネガティブな想念を救済して、それらを完璧に癒やすためには、どうすればよいのか
その最も根源的、かつ抜本的な解決策が明らかになる。
「レベル(階位)」という概念を解消する
もはや、これしかないのだ。
ただ、この論理によってのみ、根源的で、抜本的な解決がなされる。
いかなる外装をまとったにせよ、癒やしが実現されるそのとき、必ず、この論理が動作している。
あらゆる癒やしの底には、たった一つの、この論理だけしか無い。
それがなぜ唯一と言えるか?
その理由は、ちゃんと論理的に、誰にでも理解可能な形で説明しうる。
「そもそも、ネガティブな想念がどういう構造から生じているのか?」
この問いを、突き詰め、突き詰め、突き詰めて、たどり着いたその淵源の構造からして、これが唯一なのである。
「レベル(階位)」
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「欠落」→「回復」→「欠落」→「回復」
この繰り返しである。
あらゆる喜怒哀楽・快楽苦痛は、この循環運動によって生じる。
癒やしのバリエーションは、どのレベルの解消をするかによって様々に異なるものの、その奥にある本質的な論理は、たったひとつである。
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真なるもののみを愛し、偽なるものを遠ざけようとする
だからこそ、永遠に答えが見つからない。
善なるもののみを愛し、悪なるものを成敗しようとする
だからこそ、いつまでたっても争いがなくならない。
美なるものを愛し、醜なるものを憎もうとする
だからこそ、退廃や嘘ごまかしの絶えることがない。
片手落ちで愛するような、ケチな愛し方をしてはいけない
すべてを、包み込んで、あらゆるものを抱きしめない限り、永遠に心が安らぐことはない。
すべてを包容し
私は、私であることに成功した。
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