2017年4月2日日曜日

根無し草

「すべてがあるがままでよい
 たとえ、それがどんなに理不尽に見えたとしても」

 この命題を本当に導入してしまうと、もはや体系を作ることができなくなってしまう。

 体系というものは、思考の一葉、感情の一葉が積み重なっていって、出来上がるものだ。

 積み上がっていくためには、枝・幹といったバックグラウンドがなければならない。

 「何かしらのかくあるべしを抱き」

 「何かの利得を追い求めて」

 「それが楽しみの発生源なので」

 そういった地盤がないので、思考の葉が積み上がらず、どんどん通り過ぎては、抜け落ちていく。

 さながら根無し草のようである。

2017年2月25日土曜日

癒やしのトリニティ

癒やしというものが、どういうことであるか、今日はっきりとわかった。

1.自分は、今のありのままの自分であって全然いい。

2.他者も、今のありのままの彼らであって全然いい。

3.(限られた顕在意識で見たら)一見理不尽に見えることであっても、その相は宇宙の複雑なメカニズムを通した結果として、ちゃんと合理的に作動した結果として顕れている。



 1.によって、自分が自分に課す制約から、解放される。

 2.によって、社会に対して自分が課す制約を、解消する

 3.には、「判断の放棄」と「宇宙に対する信頼」、この2つが同時に実現されている。

 この3つを同時に心のなかで実行すると、ものすごい、かなり強力な効果が認められた。

 これが、癒やしの原則なのか、と驚くぐらいの強烈な効果である。

 ぜひ、毎日心のなかでこれを実現することにしよう!!


2017年2月11日土曜日

癒しの底にある、唯一の論理

大命題.

「レベル(階位)」という概念を持ち込むことによってのみ、ネガティブな想念・行為が生じうる。



嫉妬・怒り・蔑み・自己卑下・闘争・戦争・悲しみ・苦しみ、その他諸々のネガティブな想念・事象が、この世界が始まって以来存在し続けてきた。


それらの態様は種々様々であるが、その発生する由来は、共通している。

「欠落」という判定、に基づいている。


この「欠落」が生じうるためには、あらかじめその行動領域に「レベル(階位)」というものが設定されていなければならない。

存在の総量は一定だから、「上がる」存在がいれば、必ず「下がる」存在が出てくる。これは、全く不可避である。


まったく、これを避けることはできない。



そこで、

ネガティブな想念を救済して、それらを完璧に癒やすためには、どうすればよいのか

その最も根源的、かつ抜本的な解決策が明らかになる。


「レベル(階位)」という概念を解消する



もはや、これしかないのだ。

ただ、この論理によってのみ、根源的で、抜本的な解決がなされる。

いかなる外装をまとったにせよ、癒やしが実現されるそのとき、必ず、この論理が動作している。

あらゆる癒やしの底には、たった一つの、この論理だけしか無い。



それがなぜ唯一と言えるか?

その理由は、ちゃんと論理的に、誰にでも理解可能な形で説明しうる。


「そもそも、ネガティブな想念がどういう構造から生じているのか?」


この問いを、突き詰め、突き詰め、突き詰めて、たどり着いたその淵源の構造からして、これが唯一なのである。


「レベル(階位)」

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「欠落」→「回復」→「欠落」→「回復」


この繰り返しである。

あらゆる喜怒哀楽・快楽苦痛は、この循環運動によって生じる。

癒やしのバリエーションは、どのレベルの解消をするかによって様々に異なるものの、その奥にある本質的な論理は、たったひとつである。


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真なるもののみを愛し、偽なるものを遠ざけようとする

だからこそ、永遠に答えが見つからない。


善なるもののみを愛し、悪なるものを成敗しようとする

だからこそ、いつまでたっても争いがなくならない。


美なるものを愛し、醜なるものを憎もうとする

だからこそ、退廃や嘘ごまかしの絶えることがない。


片手落ちで愛するような、ケチな愛し方をしてはいけない

すべてを、包み込んで、あらゆるものを抱きしめない限り、永遠に心が安らぐことはない。


すべてを包容し

私は、私であることに成功した。